
ある言葉について、どの意味で使っているかを尋ねる質問です。
| 例(平成20年の調査結果より): 敷居が高い(例文: あそこは敷居が高い) (ア)相手に不義理などをしてしまい、行きにくい (イ) 高級過ぎたり、上品過ぎたりして、入りにくい |
辞書などで本来の意味であるとされているのは(ア)の意味です。
調査結果では、(ア)を選んだ人の割合が全体の42.1%だったのに対して、本来の意味ではない(イ)を選んだ人の割合が45.6%と上回っていました。
ある慣用句について、2つの言い方のうちどちらを使うかを尋ねる質問です。
| 例(平成24年の調査結果より): 「物事の肝腎な点を確実に捉えること」を (a)的を射る (b)的を得る |
本来の言い方とされているのは(a)の「的を射る」です。
調査結果では、(a)を使うという人の割合(52.4%)が本来の言い方ではない(b)を使う人の割合(40.8%)を上回っていました。こちらは本来の言い方を使う人の方が多いという結果が出ています。

さて、この調査結果では「本来の意味」「本来の言い方」という表現が使用されていますが、「本来の意味/言い方」が正しいもので、そうではない使い方は誤りなのでしょうか。
「的を得る/的を射る」という表現は、平成15年の調査では「本来の言い方」ではない「的を得る」を使うという人の割合が高いという結果が出ていました。しかし、これにより「的を得る」が「誤用」だと広く認識されたためか、平成20年の調査では逆転して「的を射る」を使う人の割合が高くなっています。ちなみに、筆者はMicrosoft Wordでこの記事を書いていますが、「的を得る」とタイプするたびにこの個所に青い下線が現れ、「誤用語」であると教えてくれます(親切ですね)。
しかし、「本来の使い方」ではない表現を「誤用」と断定できるかというと、必ずしもそうとは限りません。先にあげた2つの例は、いずれも本来の意味/言い方ではないとされている方の表現や意味が、『三省堂国語辞典』の最新版(第7版)には項目として立てられており用法としても載っているのです。

この辞典の編纂に携わる飯間浩明氏によると、「敷居が高い」はたしかにもともとは上の例の(ア)の意味、つまり「義理を欠いていて行きにくい」というという意味で使用されていました。しかし、遅くとも1980年代には「気軽に体験できない」という意味で使用されるようになったとのことです(参考)。
また、「的を得る」についても、『三省堂国語辞典』の旧版では誤用と記述されていましたが、実際には「得る」の本来持つ意味を踏まえると理に適った表現であり、1980年代まで作家や日本語学者たちも当たり前に使う表現でした。そのため、旧版の記述を改めたとのことです(参考)。
このように、誤用とされている用法であっても、調べてみると実際には以前から使われていたということがあるのです。そう考えると、「本来の意味/言い方」とされてきた表現が正しくて、それ以外が誤用であるとは簡単には言えないのではないでしょうか。
このように、言葉の正誤を判断するのは非常に難しいことだと言えます。では、翻訳ではどのような基準で言葉や表現を選べばよいのでしょう。
辞書を基準として従っておけばよいという考え方も一理ありますが、上記のように辞書の定義も変わることがあり、また、辞書によっても用法などの記載が異なることがあります。言葉は変化していくためこだわっても仕方ないと考える人もいるかもしれませんが、それにより適切に伝わらない恐れがあります。

もちろん、どれだけ注意を払っても誤読されるリスクを完全に排除することはできませんが、不要な誤解はできる限り避けたいものです。そのためにも、上記の「国語に関する世論調査」の結果、あるいは「正しい」言葉遣いや日本語の「誤用」に関する情報に気を配ることが大切ではないでしょうか。もちろん、「誤用」表現に目くじらを立て、「正しい」日本語を人に押しつけるためではなく、ある言葉や表現などがどのように受け止められるかを知り、それをもとに読み手に適切に通じる日本語を書くにはどのような訳語を選択すべきかを考えることが重要だと考えます。
つまり、翻訳者は「正しい」日本語の使い手である必要はありませんが、どのような表現が「正しい」あるいは「誤用」とされているのかを意識して使う言葉を選ぶことが大切だと言えます。しかし、それは相手に通じるように表現し、誤解を招かないように伝えるために必要なことだと考えると、あらゆる人にとって大事なのかもしれません。